心の悩みを聴くお救け場所
 天理教浦和分教会

お母さんへ、子供たちへ

川の始まりも ひとしずくの水から

元は一滴の水。
一滴が集まり やがて川となる。
川となった一滴の水は流れに押されて ただ流される。
はみ出ることは許されないまま、やがては海に流れ込む。
それが自然の摂理なのだろう。

人も大勢集まると、やがて流れとなって動き出す。
人々の心は、はみ出ることが不安になる。流れに任せていると安心していられる。
人はいつも他の人たちと比べられる。
人と同じでないと心配になる。
それも自然な道理なのかもしれない。

でも私には心がある。みんなとは違う思いがある。
流され続けているのが苦しくなる。

一人で歩きたくなる。みんなと違う方へ歩いていると気持ちいい。
それが私の道だと感じる。とっても楽になる。

みな元々は一人で歩くもの、それぞれ違う道でいい。

みんなと違うって 悪いことなのかなぁ

今 とても豊かな国に暮らしています。
だけど、そんな世界にいるからこそ、満たされない気持ちになります。

周りの人たちと同じでないと心配になってしまう。
みんなの話に入れないと悲しくなってしまう。
それは、一滴の水がいつしか川の流れに入り、押し流されるまま海を目指しているがごとく。
社会という中に組み込まれていく一人となるように感じる。
周りの人たちに同調するということも大切なことだけど。

でも、人は水滴ではない。心がある。
心のままに過ごす時間こそ大切だと思う。

個性ある一人一人があっての社会なのだから、
一人一人の思いがあっての集まりであるのだから、
一人一人が尊重されなければならない。

誰もが結局は一人、
そう考えれば楽になる。

明日は晴れるといいなぁ~

いつ起きても外は雨が降っていて、風がゴォーと吹いている気がする。
気分は最悪、なにもする気にならない。
お父さんお母さんとも話をしたくない。
先生にも友達とも会いたくない。
どうせ分かってくれないだろうし。
自分でも、どうしてこうなってしまったのか分からないから。


朝が起きられないのは何故、、、  今日何をすればいいのか思いつかない
学校に行きたくない、、、     勉強は大事 でも今は誰とも会いたくない
お母さんの目が見られない、、、  心配かけたくないし
このままだと将来が心配、、、   分かっているのだけれど体が動かない。
どうして、こうなってしまったのだろう。自分でもよく分からない


生きていく中には、誰でも思いもよらず苦しくなってしまうときがある。
自分はなにも悪いことをしていないのに、人の輪に入れなくなるときがある。
一人になりたいときが誰でもある。
お母さんとも 今は話したくない。

どうか自分を責めないで下さい。
それは決して悪いことではありません。みんなが経験する時間です。

明日は学校に行ってみようかな。
明日は晴れるといいなぁ~ と思う日が必ずきます。

星空が見たくなったら

街の夜空は明るい。
人間が暮らすには、暗がりは不自由なのかもしれない。
街の明かりは夜空まで照らす。
公園の草木も眠れない。
鳥たちも遠くの森まで帰って寝る。

街では星空が見れない。
何処に立っても同じ空だけど、街では星は隠れてしまう。

人の心も同じ。立つところによって見えなくなるものがある。
何かが邪魔をして、見えるはずのものが見えない。
邪魔物を除くのは大変だから、無いところへ移ろう。

いつか何処かで 綺麗な星空が見えるところがみつかる。

こころの成長

私たちには“こころ”があって意のままに行動している。
この身体をいろいろ考えて動かす不思議な力。
親兄弟、顔は似ていても心は違う。
一人として同じ人間はいないということ。

親は幼き我が子を守り育てる時期に、声かけ手を出し抱きかかえて守る。
子供の身体は驚くほど成長が早い。
当たり前のことだが “こころ”も成長していく。
生きていく知恵を ものすごく早く学んでいく。

母親が想像している以上に確りする。
いつかは加護(かご)から解き放ってやらなければならない。

心が通じ合うと言うが、なかなか難しい。
心を通わせ合い、お互いを尊重し合うことが大切。
子供の話をしっかりと聞き、その思いに寄り添う心が大切。

一人歩きする我が子は、なんとも輝いて見え、自慢の種となる。

私は わたしでいい

考えてみれば、今ここに私がいて、日々生活しているって、素敵なことだと思う。

お父さんお母さんが そばにいる。
住む家があって、近くには近所の人たちがいる。
学校には友達と呼ぶ人たちがいて、先生もいる。
おじいちゃんおばあちゃんが時々遊びに来てくれる。
街には知らない人たちが大勢いて 行き交う。

私の洋服があって、出かけるときにはく靴がある。
小さいときに自転車を買ってもらって、乗れるように頑張って練習した。
家の周りにはきれいに舗装された道路がある。
ちょっと歩くけどブランコとすべり台のある公園があって、よく遊びに行った。

毎日かならず朝になる。毎日かならず暗くなって夜になる。
何気なく見過ごしているけど、けっこう木も植わっているし、草も生えている。
鳥も鳴いている、チョウチョも見かける、ふとアリを見つけることもある。

すべて自分が暮らしている世界。
すべて自分に与えられた世界。
すべてから自分が受け取って生きている世界。

なんで、こんなにたくさんの人たちが自分の回りにいて、
なんで、こんなにたくさんなものがあって、
いつも必ずお父さんお母さんが そばにいてくれる。

当たり前に思ってしまうけど、一つでも無くなると、違う私になるような気がする。
当たり前に目の前にあるものに、感謝しょう。
お父さんお母さんに、“ありがとう”を言おう。

自分の回りにあるすべてのものがあって、今の私があることに気づこう。
今の私、自信を持って受け入れてみよう。
間違っている私なんて一人もいない。私は わたし。
嬉しいことって いっぱいある

みんな いやなことばかりを気にするけど、
嬉しいことって、けっこうあるのに気づかない。

朝 目がさめることだって 嬉しいことだよね。
ご飯を食べられるって 凄いことだよね。
本が読めることって 素晴らしいことだね。
鳥の声が聞こえるって 楽しいことだよね。
身体はどこも痛くないって 喜んでいいよね。
家族みんなで一緒に暮らせるって 幸せだよね。

こんなにいっぱい嬉しいことって あるんだよね。
それなのに、みんな気がつかないでいるんだ。

それに気づいて “ありがとう” と言ってみて。
神様は、“ありがとう”と言われるのが一番嬉しいから。

休むことの大切さ

自然界は、活動と休養を繰り返している。
二つの世界がある。

陽と陰、光と影、、、  昼間と夜、太陽と月
 この二つの世界があることで生きていられる。
 動と静の切り替えができる。
 夏と冬、そして切り替える準備の春と秋。
 自然界にあるすべてのものは、活動と休養を切り替える。

天と地、空と地中、、、 温みと潤い、空間と閉塞
 この二つの世界があることで育てられる。
 成長と吸収の境界である。
 水も、地上をもの凄く動き回り清め、地中に長くゆっくり留まり浄化する。

生命は、この二つの恩恵の中に 育てられる。

つまり、休むことこそ生きていくこと。
つまり、休まなければ次なる活動ができない。

休むことは決して悪いことではない。
休む時間は人それぞれ違うかもしれない。
休んでいる中で、何かを見つければいい。

焦ることはない。

動けなくなったら

朝起きて、動けなくなったら、少しジッとしていよう。
何もしたくなかったら、一人になろう。
学校に行きたくなかったら、少し休ませてもらおう。

お母さんには、「何故か分からないのだけれど、心が苦しいから、学校を休ませて下さい。」
と言おう。
お母さんはとっても心配するから、「心配かけてごめんなさい。」と言おう。きっと分かってくれるから。

ずる休みじゃないのは、自分が一番分かっているから。
今は休むことが一番良いことなんだと、自分を信じよう。

苦しくなったわけを捜すのは、しばらく放っておこう。
過ぎ去ったことはしばらく忘れよう。

明日は晴れると良いなぁー と思える日が必ず来るから。

わが子という命

わが子を授かった喜びを思いだそう。
わが腕の中で眠る赤ちゃんの時を思いだそう。

自分が居るからこそ生まれてきてくれたわが子、
神様から授けていただいたわが子、
わが子がいるということに感謝しよう。
今どのような姿であれ、この命があることに感謝しよう。

今の姿を、受け入れてみる。
わが子の未来は、まだまだ永く未知数。
わが子の将来は、きっと輝かしい。
そう信じて、見守ろう。

優しい言葉だけでいい

子どもは 親の愛情で育つ。
子どもは 親から褒められて伸びる。
子どもは 親の生きがいとなっていることを感じて意義をみいだす。
子どもは 親から必要な存在であると認識して賢くなる。

子どもは親から愛され・褒められ・役に立ち・必要とされ続ける中で、
人を愛し、人を尊敬し、人に尽くし、人のために働けるようになる。

子どものこころの中に入れてやるものは、優しい言葉だけでいい。

苦しいときは、じっとしていればいい

こころが苦しいときは無理をしなくていい。

だけど、部屋に閉じこもってはダメ。
朝になったらカーテンを開けて部屋を明るくする。
必ず自然を感じられる空間にいるようにする。

陽を浴びられるように、
風を感じられるように、
外の景色、鳥や草木が眺められるようにする。

自然にはとても不思議なエレルギーが満ちている。

何もしなくても良いけれど、自然と会話ができるようにしておく。
いつの間にか、自然からエネルギーが身体に入ってくる。
静かにじっとその力を受け取っていればいい。

そのうちに外に出れる気がしてくるから。

神様からの授かりもの

子供は天使、かけがえのない命、
神様からの授かりもの、、、と皆知っている。

なぜ私の元に来てくれたのか。
なぜ私が育てる役目を負ったのか。
この子をどのように導けばよいのか。

親となる喜びを与えていただけたことに、
産み育てるという奇跡の大役を与えていただけたことに感謝すればいい。

この子はどのような人生を歩むのだろうか。
この子はどれだけの生涯を生きていくのだろうか。

子は自ら生まれ出たことを喜び、
子は自ら人生を切り開き 生を全うする。

親は子を造り出す主ではない。
親は子の成長を司る主でもない。
親は授かり得る従なるもの。
授かりし天使が、羽ばたくまで守り育てればよい。

神様の思惑に狂いはないはず。
うまく進まなくなるのは、人が手を掛けすぎるから。

愛情をもって見守るだけでいい。

大人も昔はみな子ども

子どもの世界は自由で広い。

無限の空間に飛び出していく。

発想に限界という壁はない。

つまり、可能性は無限に広がっていく。

 

なんで?  どうして?  が合い言葉。

新たな情報に向き合った時に感じる 興味という感性。

知識を求め、発想を膨らませようと頑張る。

 

素直な姿、正直な言葉、真っ直ぐな行動は、

微笑ましく、愛おしく、驚かされ、時には恐ろしい小悪魔になる。

幼き心の空間は、どれほどの小宇宙なのだろうか。

 

 

知識の量と、常識という縛りで可能性を推し量る大人。

大人は目線を下げて向き合うしかない。

 

大人も昔はみな子ども、

忘れかけようとしている時を思い出して、見守ればいい。

あいさつ

”おはよう” ”こんにちは” ”よろしく”、、、
とても素敵な魔法の言葉。

この言葉で一日を始めると、
 家族も友達も魔法に掛けられる。

この言葉で始めると、
 一日中 気持ちいい。

この言葉、私も君も笑顔になる。
みんな心が丸くなる不思議な魔法の言葉。

こんな力を持っている言葉はほかにない。
使わんければ もったいないと思う。

我が子

子を授かりたいと願うこころは真に純粋。

その時、人はだれに祈るのか。

 

わが子の出産、その神秘の瞬間。

 その時、人はだれに無事を祈るのか。

 

わが子の誕生は人生一番の喜び。

 感謝の礼はだれに伝えているのか。

 

この生命誕生の営み、人は唯々 神に祈り感謝する。

みな 子を授けていただくとき、神を信仰する。

この不思議な営みは、神の領分とみな知る。

 

わが子を抱きかかえ育て始めると、独占欲が生まれる。

 

授かりし子は神からの預かりもの。

生命力は神が与え備わっている。

親は、見守り善き道を諭していけば、立派に育つ。

 

子の人生は自ら歩く道でしかない。

お問い合わせ

天理教浦和分教会 
〒330-0061  埼玉県さいたま市浦和区常盤1-2-11/ TEL 090-8346-9126
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