心の悩みを聴くお救け場所
 天理教浦和分教会

おやさまのお諭し 私のひとり言集

神様の思い 私なりの気づき

親神様は、教祖(おやさま)を神の社と定め、そのお言葉にて色々な思いを私たちにお伝えくださいました。そこには、私たち人間の親としての思いが沢山込められています。
そのお言葉を、なるべく真っすぐに理解できればと思います。私なりに、一言ずつ簡単なことばで書き記していきたいと思います。

神とは

古来より日本人は、自然界のありとあらゆるものに神が宿り、畏敬の念をもって信仰してきました。天空に浮かぶ月日や、威風堂々とそびえたつ山や、その中に高く真っすぐにそびえたつ杉の大木や、山道に立ちはだかる巨岩に、神が宿ると。滅多に現れない山の獣や海の主を、神の使いとして崇めました。静寂な山深い森の中にひとり入り込んだ時、底知れぬこころの解放感と温もり、そして恐れを感じます。
確かに、自然界のそこここには何か分からない神秘的なエネルギーを感じるときがある。

人間には見えない不思議な力。でも、しっかりと感じる力。
私がこの世に生まれてきた奇跡と、あらゆるものを与えられて生かされている奇跡。
何か不思議な力に守られていると感じる。だから、感謝し素直になろうと思う。
自然界の法則の必然性と、その世界に抱かれて生きていると云う喜び。


たんたんとなに事にてもこのよふわ 神のからだやしやんしてみよ
                              おふでさき 三号40

この世の始まり

想像もつかない広大な宇宙、遥か彼方で今まさに始まろうとしている星もあり、消えて無くなろうとしている星もあるという。
想像もつかない昔に、この星も誕生した。地は熱し、ガスが充満している泥海世界。
神は、地球を神秘に満ちた美しい星にしようと創造された。
大気を整え、大地と海を創られた。天と地の理想を創造し象られた。
太陽の温みと、水と、大気を創れば、自ずと生命は誕生すると考えられた。
しかし、生命が生まれ出したこの星を見渡しても、何とも混沌とした味気なさを感じられた。そこで共に楽しみを共有できる知恵ある生き物を創造された。それが私たち人間である。

この無限な宇宙の中のただ一つの星に、理想郷を創造された神。
天然自然の法則を定められ豊かな自然が循環し育まれる中に、私たち人間は生まれた。
この世この世界を始まめられた神の思惑を、しっかりと心に治めないといけない。

人間の役割は、与えていただいた知恵と言葉を使い、神と共に楽しめる世界を造り上げる事。
それができるようにと、沢山の人をこの世に送り出してくれた。
神を喜ばせようと、助け合う大きな輪が広がっていけば、必ず誰もが幸せだなと言える世界が出来上がる。

目指すは、世界一列 陽気ぐらし。


この世の地と天とをかたどりて 夫婦をこしらへきたるでな 
これはこの世のはじめだし         みかぐらうた

魂とは

私たちの体の中には魂があると言います。
人体学的には、魂と言う部位は出てきません。一体 魂とは何なのでしょうか。

私がこの時代に両親のもとに生まれ出て、今までに経験してきた全ての記憶を収め、これから歩むであろう道すがらが刻み込まれている記録の器。

今までに繰り返してきた 生と死とその間の歩み を刻み込んだ命の核芯。そして、これから未来永劫つながるであろう生命の核。

魂はエネルギーの塊、きれいな丸い器、他の何かのエネルギーとつながり情報交換をしあっている。
器の中に入る記録は、その人の心使いの通り。積もり積もれば中は濁る。

他の何かのエネルギーとは神か。すべて見抜き見通しとは、こう云う事なのだろうか。
ならば、できれば神を喜ばせたほうが好い。次に生まれ変わるときに、更に幸せになれるから。

人間は皆神の子 分霊、たすけられる徳を持って生まれてくる。あれたすけん、これたすけんとは言わん。どんな者でもみなたすける。                      おさしづ

このからだ

科学の進歩は目覚ましく、無限大な宇宙の謎解きや、自然界のミクロ世界の解明は進み、神が創りたもうたこの世が、少しずつ科学の力で見えてきてます。

生命の成り立ちも解き明かされつつあり、私たちのこの身体を構成している組織も単細胞まで分解し、それを構成する成分まで解明されつつある。医学術的に、クローン人間の是非も問われる段階まできている。

 

それでも、生命は未だ神秘の世界。ありとあらゆる命あるものは、科学の力では造り出せていない。植物の葉一枚、小さな虫の羽一枚、人間の身体の中を流れる血一滴、新陳代謝を繰り返す皮膚でさえ、未だ造ることはできない。

 

私のこの身体は、小宇宙その物 神秘の世界をまとっている。

考えてみれば、自分の身体の中の営みなんてあまり考えたこともない。食べたものは消化してくれて、寝ていても呼吸は続き、血は巡ってくれていることを。

 

親神様により母のお腹に宿し込まれ、貸し与えられたこの身体をまといこの世に生まれ出て、こころ次第に自由に使い、思い通りに暮らしている。

 

私だと言えるこの身体があることに感謝すべきである。これが無ければ、私は存在していないのだから。そして、健康で暮らさせている。何一つ足りないものはなく都合よく動き働いてくれる身体である。本当にありがたいことだと思う。

だから、親神様が喜ぶことに使わなければならないと思う。
それには、周りの人たちを楽しませる働きをさせていただこう。 

この身体は神様からの借物であることに、気づいている人がどれだけいるだろうか。皆に教えてやらなければと思う。

教祖は、「かしもの・かりものの理は、日々通らせていただく中に常に持たせていただかねばならんのやで」と教えてくださいました。

 

めへめへのみのうちよりのかりものを しらずにいてハなにもわからん

                             おふでさき三号137

にんけんハみなみな神のかしものや なんとをもふてつこているやら

                             おふでさき三号41

このよふは一れつハみな月日なり にんけんハみな月日かしもの

                             おふでさき六号120

このはなしにんけんなんとをもている 月日かしものみなわがこども

                             おふでさき十三号79

こころ

こころって、何なのだろうか。
こころを紐解くとき、学問的には心理学である。どうも物質的に存在するものではない。
私たちの身体に内在する 未知の力 であろう。木や花にもそれは内在しているのだろうか。
こころは、いつも脳や身体と交信しコミュニケーションしている。
全ての人間に備わる力である。

誰一人、同じではないことの証は、こころである。姿かたちでの判断ではあるが、過ごしてきた経緯、こころの使い方が容姿に表れる。それが今の私として見えている。
人のこころは覗き込めない。だから容姿、行動や言葉使いで読み取る。

こころは、本当に自由自在である。
やる気を起こせば誰にも負けない力が湧いてくる。
楽しいと感じれば、身体がふわふわ軽くなる。
空想の世界に入れば無限に広がる空間に行けるし、身体を切り離せば夢という非現実世界にも連れて行ってくれる。
空想や夢に描いたことを、実現する力を持っている。


親神様は、誰一人として同じにならないようにと、貸し与える身体にこころを足し加えて下さいました。私が私である所以である。これは喜んでいいと思う。

こころの使い方次第で、人を楽しませ幸せにできる。喜んだ顔を見ると、自分も楽しくなれる。どうせ生きていくなら皆 笑顔でいたい。

それ人間という身の内というは、神のかしもの・かりもの、心一つが我がの理
                           おかきさげ

をやこでもふうふのなかもきようたいも みなめへめへに心ちがうで
                           おふでさき五号8

人間というものは、身はかりもの、心一つが我がのもの。たった一つの心より、どんな理も受け取る中に、自由自在という理を聞き分け。
                           おさしづ明治22・2・14

祈り、、、つとめ

神様の存在を信じ祈るのは、人間だけだろう。
世界の国々には必ず「神」という言葉がある。大昔からどこの人々も、神に祈りを捧げてきた。
その祈りは、今の泰平な世の状に感謝する祈りであったり、今起きている災禍を鎮める祈りであったり、集落、地域や国家単位の特別な儀式として執り行われてきた。
それは、歴史上知恵ある人間が成人する上で、非常に大切な事であった。人々が神という力の存在を信じ、崇拝し、民の心を一つにすることにより、安定を築いてこられた歴史である。

そして今 親神様は、最後(だめ)の教えを明かされた。人を救ける祈りをするようにと諭された。
己の心のほこりを払い無欲となり、無心に人の救かりを願う優しい心を使い、悩み苦しむ人に幸せになってもらいたいという心が、大切だと教えてくれました。
救ける心は次第に広がり、いずれはその輪は地域をつつみ、更に広がり、陽気ぐらしの世界となると教えてくれました。

教祖は、人を救ける祈りの作法を、「つとめ」として教えて下さいました。
誠真実の心を乗せて おつとめをすることが何より大事と仰いました。

誰でも、自分のまわりにいる人たちが笑顔でいると、思わず嬉しくなります。
これが幸せの始まりであることは間違いありません。


このつとめなんの事やとをもている よろづたすけのもよふばかりを
                          おふでさき二号9
このつとめなにの事やとをもている せかいをさめてたすけばかりを
                          おふでさき四号93
どのよふにむつかしくよふみへたとて よふきつとめてみなたすけるで
                          おふでさき十二号61

声は言葉

動物はコミュニケーションを取り合うとき、声を使う。
その能力でも夫婦となり家族ができコロニーとなり、種は繋がっている。彼らも素晴らしい能力を与えられている。

私たち人間はコミュニケーションを取り合うときに、言葉が使える。
心の声を言葉にして話ができる。おそらく動物たちよりもより細かに思いを伝えられているのだろう。私たちも素晴らしい知恵を与えられた。かしものの身体のお陰だ。

言葉は心の声という。その人の心そのものである。心地よく響く音もあり、いつまでもこころに不快に残る音にもなる。
心地よい言葉を貰った時、人はみな幸せな気分になる。自然とありがとうと言える。
言葉は優しく使うと、人のこころを救ける。
どうせ使うなら綺麗な声を発しようと思う。交わる人の喜びの肥やしとなるように。

親神様は「声は肥やで」「言葉は道の肥となる」と言われる。

水、、、うるおい

これほど大量の水の星が誕生できたのは奇跡であろう。

ガスが充満し、火が噴き出す泥海であった星。

マグマは徐々に治まり、ガスはうすれてきた世界に、私たちの古代祖先であろう微生物が撒かれた。彼らは、水とガスを永の年限を掛けて浄化してくれた。

 

海は生命の源となった。何億という種の宝庫である。

水無くして生命は生まれないし、成長しない。つまり生き物は存在しない。

ありとあらゆる生命の基幹成分は水からできているという事なのだろう。

人間も胎内に過ごす期間は、母より栄養たっぷりの水を貰いながら、まさに水中生物の姿で成長する。海に漂う遠い記憶がくり返されている。

 

水はしなやかで柔軟でありながら、物を浮かべ押し流す力を持つ。

存在を主張するでもなく、柔軟に形を変え、物の下に入り相手を常に見上げている。

天然自然の循環に従い、地中に入り身を清め、陽のぬくみを受け取り空に舞い上がり、地上の全てを洗い清め、ありとあらゆるものを潤し育て、そして、汚れを身にまとい土に帰っていく。

 

私も水の如く潤っているこころでいようと思う。

 

 

くにとこたちの命

人間身の内の 目うるおい、世界では水の守護の理   十全の守護

火、、、ぬくみ

陽が沈み闇の中、生命は休息の世界に入る。

すべての命の起源は水中に誕生した。僅かな光の中で生まれ出たのだろう。

気の遠くなるような時間のなか、温みのない環境でゆっくり成長し続けたのだろう。

そしていずれ地上に上がり、陽の光を浴びて生命は爆発した。

この地球は太陽を中心に成り立っている。天然自然の営みの根源である。

この地球は自らも熱を蓄えている。内在する熱は地をも動かし続ける。

ぬくみの恩恵の世界である。

 

朝 目覚め、晴れていると気持ちいい。

陽の光は、このからだを少しずつ呼び起こしてくれる。

エレルギーの源だと感じる。

 

生命は、陽の光を浴びて育つ。

人間は陽を受け取り、自らのぬくみを造り出している。

ぬくみは心を温めてくれる。温まった心は喜びを蓄える。

蓄えた喜びは、人に分けてあげたくなる。

 

火、ぬくみの力は、素晴らしいと思う。

 

 

をもたりの命

人間身の内のぬくみ、世界では火の守護の理    十全の守護

風、、、息吹き分け

陽のぬくみは、あらゆるものを暖めてくれる。

暖められた空気は、嬉しくなってきて動き出す。フワフワと登っていく。

水面をなめて輝かせ、田畑をわたり作物を育て、山を駆け上がり木々を揺らし、私たちの間を通りぬけて心地よさを与えてくれる。

風は万物に息を吹き入れてくれる。風が無ければ命は育たないだろう。

 

風も空気も見えないけれど、確かに与えられた大切なもの、神の息そのもの。

 

呼吸は命をつなぐ元なる活動。体内で燃やしてぬくみが生まれる。

息することがすなわち生である。無意識なる自在の働きに感謝する。

息吹き分けて言葉を使える。この知恵に感謝しかない。

 

今日も清々しい風が吹いている。ありがとうと感謝して歩こう。

 

 

かしこねの命

人間身の内の息吹き分け、世界では風の守護の理  十全の守護

災禍

東日本大震災から10年目という記事で報道されている節目の今、東北地方で大きな余震が発生した。専門家からは、ここ30年以内に南海トラフや首都直下型地震の発生確率のコメントが報じられている。自然の猛威は凄まじい。
新型コロナウイルス蔓延が収束の兆しもいまだ見えず、1年以上社会が混乱し続けている。全世界の死者は、第二次世界大戦の死者数を上回ったという事である。どちらも恐ろしい事である。
天災にしても人災だとしても、今の人間の知恵では、恐らくくい止めることはできないのだろう。

何故、人々が苦しむ災禍がくり返されるのだろうか。
その一つひとつに、どんな意味があるのだろうか。
地球規模の痛ましい災禍に、人間思案で答えは見出せない。それが結論かもしれない。

それなら、突き付けられた災禍を、どう受け止めるか。
尊い多くの命が失われる事に、どう向き合えばよいのか。
残された我々が、他人事で居てよいのか。そこを思案しなければならない。

人間は、その持てる英知を積み重ね文明を築いてきた。
文明は急速に発展し科学を生みだした。
科学は、天然資源を食い漁り、自然界にはなかったものを造り出した。
それは、空を、地を、海を、傷つけ続けている。

気づく時が来ているのだろう。
少しくらい不便でもいいではないか。
それより、自然が輝いていてくれた方が幸せだ。

人が生みだす限りない欲望はほこり。他者を思いやる澄みきりこころ。


欲に切りないこの泥う 心澄みきれ極楽や        みかぐらうた

時、、、未来

時が流れているというこの瞬間、何だか不思議。
宇宙は静の世界にみえる。それは何億年という単位の世界だから。
その中で、地球はもの凄く早く動いている。太陽軸で自ら回り、自然界の営みを生み出そうとしてくれている。昼と夜、天候の変化と自然界の循環。そこに時間が創り出されてくる。時空間の世界に私たちは生かされている。自転しながら回っているうちは、時間は戻らないし止まらない。

時の流れの中では、今この瞬間にさえ戻れないし、止められない。
一瞬を悔やんでも後の祭りだ。そのことを常に考えて時間を使っているだろうか。

私たちは、この瞬間をこころのままに生きている。
こころの使い方次第で、今この瞬間が嬉しい思い出になる。忘れられない嫌な記憶にもなる。
過去の人生は変えられない。今この瞬間からの人生は自慢できるものにして行ける。

時間も、神様からの大切な与えもの。こころ次第に大事に使わせていただこう。

天の理

自然界の営みの世界。すべてが繋がり合って動いている。

陽の光は、すべての物にぬくみを与え、水を舞い上げ地を潤し、風を吹かして、成長を促す。
陽は陰り、静寂をつくり活動を止め、休息を促し栄養を蓄え、更なる成長に備える。

水の星地球、広大な海と地中に内在する水と、空に浮かぶ水気、そしてすべての生命を形成する水、その水はいずれ母なる海に帰っていく。

大地では、豊かな森を育て木々草花が根を張り水と養分を受取り成長し、動物を守り育て、人は種を蒔き作物を育て命つなぐ。

気の遠くなるような時間を掛けて創造されたこの地球。
そこには偶然ではなし得ない壮大なる意思を持った力が存在する。
つまり、自然界のありとあらゆるものの繋がりと、時とともに流れる法則。

自然界の営みこそ天の理、理づめの世界こそ 神 である。


あたゑは天にある 理にあたえる        おさしづ明治32年8.22

いんねん、、、魂は生き通し

私の魂はどれだけの年限を見てきたのだろうか。
途方もない刻を渡り来たのだろう。

平穏に心満たされた日々はどのくらい占めているのだろう。
悲しさにさいなまれた思いをしたことの方が多いのだろうか。

愛し愛された人はどのくらい巡り会って来ただろう。
嫌われるような言葉を使ってしまった相手はどれほどいるのだろうか。
混沌とした時代の中で人を傷つけた事もあったのだろうか。

その永い永い記憶を私の魂は刻んでいる。決して消えることのない過去。
自身でありながら知り得ない記憶

今世で歩いてきた時間と今ここにある自分、前世までの善と罪 因縁の具現。
前世のあらゆる人と今も繋がり暮らしていると云ういんねんの世界。
人生は苦しいけれど、一緒にささやかに笑える日常があると言うことは幸せなのかも。

魂に刻まれたいんねんは消せないけれど、今から新しい種を蒔けば綺麗な花が咲き始めるはず。

いんねんと言うて分かるまい。皆これ世界は鏡、皆人間生まれ更わり、出更わりしても、心通り皆身に映してあるから、よく聞き分け。  おさしづ明治21.2.15

神様は、いんねんの者寄せて守護して下さるねで。  教祖伝逸話篇「心の合うた者」

こころのほこり

浮遊しているほこりは、あまりにも小さくて気がつかない。
吸い込んでも、目に入っても気がつかない。
風が吹けば、人が動けば、ほこりは舞い上がる。
恐らくほこりのない世界は存在しない。

ほこりはいつの間にか吸い込み、身に掛かり、回りに積もる。
そこでうがいをして、衣服を払い、部屋を掃除する。
綺麗になったと満足する。

人は自由気ままに行動する。その意思決定は自分自身。
心の使い方は、綺麗なときばかりではない。醜いときもある。
自分本位の考えは、時として人を傷つける。

こころに積んだほこりは、見る目を曇らせ視界を遮る。
やさしい気持ちが埋もれて出てこなくなる。
人を思いやる気持ちが出せなくなる。
自分が一番可愛くて、偉く思えてくる。

ほこりのない世界は存在しないかもしれないけれど、
積もらせたほこりは毎日掃除をしないと、
いつか大切なものが、霞んで何も見えなくなってしまう気がする。

八つのほこり
をしい、ほしい、にくい、かわい、うらみ、はらだち、よく、こうまん

感謝、慎み、たすけあい

天然自然のこの世界で生かされている私たち人間は、その自然界の法則の中に生活しております。この世界のありとあらゆるものと共調し合い調和して成り立っております。その調和を乱す心の使い方、自分は正しいと思う癖性分が、少しずつ調和し合っている世界からズレてきますと、身上事情として現れてしまう事が起こります。人間誰でも犯してしまう心使いです。そこに気づくことが大事です。

生かされている喜びに「感謝し」、心の使い方を「反省し」、回りの人やものを「敬い扶ける」ことが一番大切だという教えの実践。

今自分に与えられている全てに「ありがとう」と言い、
いつも使ってしまう不足こころに「すみません」と謝り、
回りに与えられたすべての人とものと調和する「はい」と言う素直なこころ。

心の道

いんねんというは心の道、と言うたる。         おさしづ明治40.4.8

悪しきいんねん
病気になってしまったり、悩み事が絶えず身に降りかかってきたり、とても辛く苦しいことで、出来れば避けて通りたい。

この悩み事や病気になるという結果には、必ずそうなる元が自分の中にあったから。
花の種を蒔いて、夏の花園を楽しみに望んでも、手を掛け世話するという元を怠れば、楽しみにしていた花園にはならないように。
種を蒔いても、育てたとおりに成ってくる。
自然界の必然たる摂理であろう。理に逆らって花は咲かない。

負のスパイラルに陥らないためには、心の思考を変えるしかない。
心使いの癖性分は中々変えられないものだけれども、そこに気づくことが大事。
成ってきた結果を変えるには、元に気づくこと。
元に気づくと、元気に変わる。

心が澄みきると、すべての理が変わる。
理が変わるとは、これから成ってくる元が変わる、因縁が切り変わるということ。
元を変えれば、運命が変わる。


人間というものは、身はかりもの、心一つが我がのもの。
たった一つの心より、どんな理も日々出る。
どんな理も受け取る中に、自由自在という理を聞き分け。  おさしづ明治22年2.14

生、、、誕生

人間誕生の不思議。
私はどうしてこの世に生まれてきたのだろうか。
両親が私の誕生を強く望んだから。
それも間違ってはいないのだろう。
私自身が、この両親の元に生まれることを望んだから。
それは人間の領分で成せる技ではないのだろう。

親となる二人の出会いの偶然から、私の物語は動き出す。
私という種が蒔かれた奇跡の瞬間。
母胎は、私の成長に即して応じてくれる。まさに内なる小宇宙、深海の世界。
やがて産みの苦しみの後、この世に私が生まれ出る。

無から有へ動きだす命。
無限に広がる世界から,限り有る世界へ移っていく命ということ。
形が存在しない世界は広大な中にいたということなのか。
身体を頂くと時間の制限が発生するということ。

生とは命となる神秘の技。
設計図となる膨大な遺伝子を書き込まれながら、成長し続ける命の営み。
この世では男として生まれてきた。

両親に感謝、特に母には感謝。
そして、ないところから始まるこの技と営み、神の力に 唯々感謝。
貸しいただいたこの命と身体と時間、神が喜ぶ日々を過ごさねばと思う。

たいないゑやどしこむのも月日なり むまれだすのも月日せわどり                 おふでさき 六ー131

死、、、出直し

長い人生では、親しい人と悲しい永遠の別れがある。
私も、育て守ってくれた人たちと別れを経験してきた。

幼き頃、薄暗い奥座敷で、祖母は私の名を呼んでくれた。私は声が出なかった。
あんなに抱きしめてくれた祖母の手を握ってやることができなかった。
死がおし押せている空間は子供心には異界に感じた。

母との別れは覚悟の中、眠るように逝った。私の心は真っ白で何も見えなくなった。最後に母が抱きしめてくれていると感じた。
母の身体の温みに触れ、薄らいでゆく生と死の境界で手をつなぎ続けた。
温みこそ生であることが分かった。
人を愛し愛されて老いた人は、自分の死が間近であることが分かるようだ。

ときには幼くして、若くして、病に冒されて、事故で一瞬に向かえるその境界。
受け入れがたい死をむかえる時、人は何を思うのだろうか。
死という境界の向こうの世界は、人間の知見では分からない。
生の危うさ、死の儚さを悟るのは難しい。

人は誰でも必ず死ぬ。
人生の終焉という大切な時間を決めることは、自分では出来ない。
躍動し続けてくれた命の営みを徐々に止めていくその主、これもまた不思議な力。

お与えいただいた一生という時間はそれぞれ違う。
その時間を使い、どう生きるか、どうつなぎ続けるか。
神が授けてくれた時間であるから、役目があるはず。
善く頑張ったと、その時には魂を抱きかかえてもらいたい。

天然自然 すべてが繋がり流れゆくこの世界。
死はすべての終わりではない。
ないところから始まる命というが、元となる根本があってのこと。
元なる魂は生き通し。永遠の道。生まれ替わり出替わりの出直しの道。
死はけして哀れではない。次なる出直しの節である。

さあさあ人間というは一代と思うたら違う。生まれ更わり出更わりである。               おさしづ 明治39年3,28

一番見えないもの

人は目で見えるものを認識する。それは必然的なことである。
目に見えない物はどうしても忘れがちとなる。そして意識して考えることを怠ってしまう。

見えているようで見えない物、、、、 空気、水、太陽の光、宇宙
見えないけれど信じている物、、、、 神、精霊、魂、心

見えないけれど命にはとても大切なもの。
見えないけれど大いなる力、有限なる世界の秩序を創り育てる力。

なれど人が最も身近で見えない物・見づらい物、、、、それは自分とその心。

人は五感で認識できる物に、心を使って色々感じとり、判断する。
相対する人をあれこれ観察する。好きな人、合わない人、受け入れたり遠ざけたり。
見た印象や言葉から、他人の癖性分はよく見える。

だけど、自分の目で見えない自分のことは、なかなか見ようとしない。
人のことばかり観察している。

自分の身体はどれほど凄い物だと気がついている人が、どれだけいるだろうか。

祖父母を介護して思う、痩せ細った身体を起こすのは大変な事だ。
活躍した人の胴上げシーン、大勢の人がいないと舞い上げることは難しい。
それほど人を持ち上げるのは大変なこと。

でも、自分で立ち上がり飛び跳ね舞うことは難なくしている。歩いて移動することくらいなら誰でも一人で出来る。

そう考えた時、自分の身体って凄いことが出来るように造られているんだなと思う。
骨や筋肉や筋が、飛び上がれるよう走れるよう、しなやかな身体となっているのだと言うことが分かる。その自分の身体を見ることを何時もしていない。

ましてや自分の心を、しっかりと見つめ直す事をしていない。
その時々の事象に直感的に行動しているだけ。
自分の心の癖性分は全く見えていない。
人に言われると腹が立つ。それは、見えていないから。
自分自身は見えないのではなく、見ようとしないのかも知れない。

信仰とは、見えない神秘の力を信じること。
その始めの一歩は、自分では見れない自分自身を客観的に見ると言うこと。

神からお貸し頂いたこの身体、日々感謝して使わせて頂かないといけないと言うこと。


にんけんハ みなみな神のかしものや なんと をもふて つこているやら             おふでさき 三号41

二つ一つが 天の理

相反する二つのものが一つとなり、天然自然の調和がとれている。
天と地・・・温むものと潤うもの、そこに命が誕生する。
火と水・・・燃えさかるものと静めるもの、そこに命は育まれる。
大地と海・・不動のものと流動するもの、そこに命は成長する。
昼と夜・・・光と影、そこに活動と休息が営まれる。
男と女・・・強く逞しいものと優しく柔軟なもの、そこに喜びが満ちる。
この世界は、相反する働きが一つとなることで、命は生まれ育まれ成長し喜び合う
二つの調和が生み出す命の循環。

人の身体の中にも、二つ一つに働き成すもの、つまり目、耳、手、足。
片目を病んでも、指先を切っても、生活が不自由となる。
二つ一つで思いを成してくれる。理に適った一対。
なんともありがたい働きをしてくれている。

人は二人一つに夫婦となる。
夫婦共々働き家族を成し、子を産み育て送り出し、子孫を繋ぐ。
親神様がこの世この世界が味気ないと思われ、創造された理詰めの男女雛形。
これが種の起源であり、永遠の道。二つ一つの理が途絶えれば種は滅びる。

神は、人は一人では決して生きて行くことが出来ないように創られた。
それは互い助け合い支え合い陽気の輪が広がるように、元となる二人を造られることから始められた。命が生まれる単位は二つからとなる。

“二つ一つが 天の理” という教え。
この理詰めの世界、人間はその中で生かされている。
親となり背負う大きな責任、そこから始まる子供の未来。
二人が一つに成人せねばと、深く考えるべきである。

自然という中にいる

自然を大切にして付き合っていこう。
これほど豊かな自然という中に、私たち人間は生かされている。
自然から多くの恵みを受け取っている。
綺麗な空気や水。
食する物すべては自然が作り育てたもの。
すべての物を作り出す力がまさに自然という大きな力。

空や海、森と川と土を大切に使わせていただく。
人間はほんの少し手を出すだけ。それも大切なことであるが。
手を加える時は感謝して使わせていただく。
自然は人間の都合のいいように壊してはならない。

自然界は人間が創り出した物ではない。
それは創造主がいて、理想の世界を創り出してくれた思いがあるはず。

それを分からないで暮らしていては失礼である。
その思いを感謝して享受させて頂こう。

自然の中に、神がいる。


たんたんとなに事にてもこのよふわ 神のからだやしやんしてみよ
                   おふでさき 三号40

辛い中にこそ感謝、、、たんのう

人は病気になると、つい自身の事ばかり思い悩む。
なんで自分がこんな目にあわなければいけないのかと、人間思案に明け暮れる。

ほんの少し目線を変えてみる。
今は気が滅入ってしまう病気の中に身を置く状況だけど、
それ以前の長い間、健康な身体で過ごせていたこと、
元気でいられることを意識することなく過ごしていたことを。

生きてきた中で多くの人達と交わり支え合い、
その時々に自分の周りに寄り添って関わってきてくれた人たち。
引き続きずうっと関わり合う人たちがいて、
新たに知り合うであろう人たちの事に目を向けて思案してみたとき、

自然に感謝と期待と喜びが湧いてくる。


私たち人間は、この天然自然の法則の中に生かされている。
天の理によって生かされている。
その法則・理のありがたさを忘れて生活していると、調和の世界からズレを生じる。
リズムが狂い出すと、身体も狂い出す。
その事に気づいてほしいという、神様からのメッセージなのかもしれない。

長い人生の中、色々な事が起こってくる。
嫌な事悪い事ばかりを取り上げる癖性分をとりあえず忘れ、
感謝と喜び心で過ごしてみると、きっと善い事が待っている。


どのよふなさハりついてもあんぢなよ 月日の心ゑらいをもわく
おさしづ(十一号3)
どんなに難しい病と云へども案ずることはない、神の思惑は測り知れない処にある。

つながっている

命をつなぐ、
心をつなぐ、
人をつなぐ。

家族がつながる、
社会につながる、
自然につながる。

過去からつながってきた世界、
永遠とつながり続ける世界。

水を飲めば、からだに溶け込み、
焚き火に当たれば、温みが入り、
風を受ければ、肌が澄む。
これつながっていると言うこと。

森に入れば、気持ちが静まり、
小舟に乗れば、心が躍り、
街を歩けば、気が高まる。
これもつながっていると言うこと。

すべてのものが つながっている世界。

つながっているから見ることができる。
つながっているから会うことができる。
つながっているから行くことができる。

つながっているから、神は守ってくれている。


くにさづちの命 
人間身の内の女一の道具皮つなぎ、世界では万つなぎの守護の理

喜びこころ

人は様々な力を与えられた。
動物とは違った力を持たせていただいた。

動物は本能のみを使いこなす心。
人は自由自在に知恵を使える心。

みんなが使える 喜びこころ。
この心
人に掛けると笑顔をつくり、
植物の種に掛けると満開豊作になり、
自然に向けると喜びを返してくれる。

この心
使えば使うほど自然界と身体が調和する。
健康とは自然界との調和で成り立っている。
健康はなにより幸せなこと。
だから、喜びこころを使おう。

日々 嬉しい嬉しい通れば 理が回りてくる     おふでさき

陰の誠

月日にたとえる 神
陰と陽が織りなす世界だから。

陽の中、命あるものは 躍動し
陰の中、神は見澄まし働きくださる。

無限な宇宙は陰の世界
陰にこそ不思議な力が働いている。

人は生きているなか、陽と陰を歩む。
陽の中では、人々と関わり合い自分を飾り装う。
陰では、本来の自分をさらけ出す。

陽の中で働けば、人に愛され褒められるけど、
陰の中で働けば、神に愛され褒められる。

陰にこそ神の意志がある。
陰にこそ真実が必要と言うこと。

陰の働きこそ、幸せになる徳積みとなる。

天の鏡

古来より鏡は崇高なものと扱われてきた。
水面に映る世界を手に入れたいとの思いで、
青銅を研磨し鏡を作り、神に捧げた。
我が身姿が映し出される神秘、鏡そのものに神が宿ると感じた。

かがみ の中にいる が(我)を除けば、かみ(神)となる。

鏡は真実のみを映す。一分の嘘もない世界。
我がまま心をまとった姿そのままに映す。
神宿る鏡は見抜き見通しと言うこと。

映る自分の目は綺麗に映っているだろうか。
嘘偽りのない顔をしているだろうか。

映りかえるは天の理という。
魂は前世までに積んできた姿通り、 
鏡に映り返るがごとく現れてくる。

日々降りかかる事象を素直に受け取る心で過ごしているだろうか。
前世までのいんねん切る生き方をしているだろうか。

真実の自分を映す。
前世の自分を映す。

この魔力が、天の鏡という。

神に恥じない姿を映したいと思う。
神が喜こぶ姿に映り変えていきたいと思う。

映る姿が 綺麗でありたいと思う。

みなせかいのむねのうち かがみのごとくにうつるなり
             みかぐらうた 六下り目 三つ

いんねんと言うて分かるまい。
皆これ世界は鏡、皆人間生まれ更わり、出更わりしても、
心通り皆身に映してあるから、よく聞き分け。
おさしづ明治21.2.15

こころの定規、、、天の定規

子供は、大人から色々ものの見方を学んで成長する。
曖昧な表現で受け取ることもある。
子供は素直に受け取り、心に染みこませる。

染みついた心は、無邪気に動く。
無邪気な優しさであったり、無邪気な悪戯であったり。
染みついた心は、そのまま大人になる。

そして大人は見聞きしたものを心に入れる。
積み重ねた心の定規で情報を測る。
ある人は真っ直ぐだと言い、ある人は捻れ曲がっていると言う。
その定規、善し悪しの目盛りはみな違う。

自分は正しいという思い込み、
相手を傷つけているかも知れない正義感。
正義感から争いも起こる。悲しい結末にもなる。

善悪を推し量る天(神)の定規は、人間には計り知れない。
善し悪しの目盛りを決めたのは人間でしかない。

天は善悪の裁きはしない。
ただ自然界の調和を乱せば結果がついてくるだけ。
人は自分本位の善悪という欲の混じった定規を使う。

曲がった定規は工具箱に仕舞い、
相手を思いやる目盛りで返す。
喜んでもらえる大きさで返す。

心に染みこんだ思いやりの定規で、いつも測れるようにしたいものだ。

結構 結構は、天に届く

人生は長い。
生きるとは責任を負うと言うこと。
責任を全うするには、目標を目指すと言うこと。
目標を目指すには、挫折も成功もある。
生きるという責任には苦楽がある。

苦しさ悲しさは愚痴となる。
愚痴は連鎖して心は病む。

社会とのつながりが切れかかっても、
人とのつながりが切れかかっても、
病の淵にあっても、ほんのささやかな喜びはある。
苦しさの中にも僅かな望みはある。

愚痴を聞いてくれる人がいる、
声を掛けてくれる人がいる、
見つければ きっと見つかる結構なこと。
今まさに生きている、生かされていることに感謝していい。

生きていることこそ奇跡な結構、
「結構なことです」と言い続けていれば、復活できる。

「不足は切る理 結構はつなぐ理」 という。

どんなに辛いことや嫌なことでも、結構と思うてすれば、天に届く理、神様受け取り下さる理は、結構に変えてくださる。                 逸話編144

自分

自分とは、みずからがわかると書く。

自分探しは、何故か一番難しい問い掛け。

 

人はみな違う道を歩む。

同じ目的に向かって歩いても、たどる道先はみな違う。

今いる道に満足できるがどうかは自分の心次第。

他人は、今自分がたどっている道が正しいかどうかは、評価でしかない。

今いる処に満足か、もう少し頑張ろうかは自分のみ測れる。

 

人は歩き続けることが最も大事。

歩くという基本を繰り返し 繰り返し続けることが大切。

歩き続けていると、きっと何のために生きているのかが見えてくる。

 

生きているこの瞬間が、

生かされていると言うことに気づくかもしれない。

 

自分探しは、今いる大切なこの時間と世界に、

素直に感謝する心が見つかったときに分かる。

陽気

気は流れる。

 

自然界の空気の流れ。

太陽からの暖気の流れ。

地球の中心からの磁気の流れ。

生命が成長する根幹となる気の流れ。

 

気が流れなければ、森も朽ち、水も腐り、家屋は衰退する。

古来より先人たちは、気の流れを中心に捉え生活を築いてきた。

気の流れを重んじることで、繁栄を築いてきた。

 

人の身体の中も気は流れている。

気の流れは気分を高揚させて陽気となる。

気の流れは活気を産み陽気となれる。

 

気の流れが滞ると気分は優れず、病を呼び寄せ。

気の流れが塞がれれば、闇の世界に入る。

気の滞留とは陰気という。

 

気とは、不思議な力の流れ。

気は、意識すれば自ら造り出せる流れ。

誰もが与えられた力。

 

陽気暮らしは、誰でも呼び込める。

陽気暮らしは、一人では成り立たない。

つまり、気の流れを呼び込めば、その輪は自然に広がる。

蒔いたる種はみな生える

植物は太古の昔、この星を楽園に作り替えてくれた。

地球という緑の星を造るため、種を蒔き続けてくれた。

己の種を絶やさぬよう芽生え続けた。

 

実から弾けた種子は、様々な方法で地に潜り込む。

風に吹かれ飛び散り、鳥に食べられ糞となり、水に流され知らぬ地に着く。

どこに蒔かれても種は正直に親の心通りに芽生え続ける。

 

人の生き様も同じこと。

日々生活する中に、己の存在価値という種を蒔き続けている。

知らず知らずに心通りの思いが蒔かれる。

癖性分の染みついた言葉や行動が、相手の心に蒔かれる。

結果は正直、相手は傷つき離れていく。

 

蒔いたる種はみな生える。

神様も喜ぶよう素直な心で蒔けば、きっと綺麗な花が咲き誇る。

 

蒔けば生え、蒔かねば生えぬ善悪の、人は知らねど種は正直

節から芽がでる

樹木は、節こぶから枝を生やし葉が茂り、自ら生きていく糧を造りだす。

小さな草花も、節から新芽が生まれ花を咲かせ、種をつなぐ。

竹は、節を造り強さと柔軟さを得て、風雪に耐える力をえる。

彼らは幹や茎に節をつくる術を知っている。

節は自ら傷つけ折れる恐れがあっても、節つくらずして成長ないことを知っている。

 

時も流れ成長を促す。

季節という時の区切りで生命の成長を促している。

 

人は人生という有限の時間の中で生きていく。

草木を鏡と見れば、節こそ成長の旬と分かる。

一生という流れの中に現れる喜び事や悲しみ事こそ、節である。

節なる事象を、受け止め乗り越えてこそ成長がある。

草木でさえそうやって成長し続けているのだから。

 

嬉しい出来事は、人を成長させる道理。

苦しく悲しい時こそ、越えれば強く大きな節となる。

一生という記憶の線に、節こぶが幾つ刻まれるかで、線は太くなっていく。

 

記憶線が太ければ、神も掴み抱えやすくなる。

 

 

年々の道、幾重の節から節が栄える一つの理    おさしづ明治222,21

支えあい、、、助けるが 助かる

この自然界はすべてが連鎖していく世界。

地球には水が満ち、それはすべての空間でつながり連鎖していく。

水の連鎖は生き物の体内にもつながる。

 

光は温みを放ち、それはすべての空間につながり連鎖していく。

温みの連鎖は生き物の体内にもつながる。

 

自然界の大いなる法則によりつながり合う私たちの魂もまた、つながり合っている

つながり合ということは調和しあっているということ、

調和しあう世界は、心と心がつながっている状態。

連鎖を保つには助け合うことが必要。

 

つながり合うから、偶然なる遭遇を呼ぶ。

助けを求める人と、それを支える人との出会い。

縁ある魂の出会いは偶然ではない、因縁という導き。

因縁の結び合い助け合いの世界。

 

助ける心は連鎖して歩く。

助けられた人は喜びをつないで行く。

回り回って自分に返って来る。

 

潤いと温みを伴う喜びの連鎖が陽気ぐらしの道である。 

 

わかるよふむねのうちよりしやんせよ 人たすけたらわがみたすかる                  おふでさき三-47

天の声

自然の中に身をおく。

 

森の中に入る

木洩れ陽の囁き、風がかなでる笛音、

木々から発する精霊の声、土中からむせ上がる響き。

 

海岸に立つ

ごうごうとそそぐ斜光音、からだにまとわりつく潮風の音、

波にかき消されそうな水中から泡となり浮かび出る声。

 

夜中の闇に潜り込む

動くものが隠され、何もないと錯覚する世界、

恐怖を抑え 耳を澄ますと、静寂という微かな声。

 

古来の人々は自然と向き合い会話を交わしていた。

現代人は自ら作りだした雑音の中になれ過ぎて、

自然が発する声に耳を澄まし聞く心を忘れてしまった。

 

森や海から聞こえてくる寛大な温みと優しき声、

闇の中から囁かれる真実の声。

 

私に向けられているシグナルがあるはず。

私を導こうとする声を、心澄まして聞き分ける。

 

何と言っているのだろう。

何を伝えようとしているのだろう。

 

自然界の大いなるエレルギーから放たれる魂への声。

心澄まし、天の声を聞き分けなければ、

きっと進むべき道を伝えてくれているはず。

 

 

ふと浮かぶは神こころ、、、、、天の声

幸せ探し

幸せになりたい。幸せでいたい。誰もがそう思って生きている。

でも 今幸せと、なかなか感じることができない。

辛いことや苦しいこと、悲しいことばかりが心の中を重く支配する。

幸せの重さより、辛さの方が重たいものなのだろうか。

何故人は、辛いことばかりを意識をしてしまうのだろう。

 

 

それより、幸せ探しをしよう。

朝目が覚めて、また今日という日が始められる。

ご飯は美味しくいただける。トイレの用も足せている。

家族がいる。色々あるけれど、笑い合いながら暮らしている。

恋人や友人と喧嘩もするけど、仲良くしている。

仕事も勉強も大変だけれども、前には進んでいる。

何より、回りの人も自分も病んでいない。

これって幸せっていうことかも知れない。

 

人生は長い。その道を歩むのは結局 一人。

幸せも、悩み苦しみも、自分の中にある。

生きるとは孤独、でも寄り添ってくれる人は必ずいる。

 

幸せとは 他愛のない小さなことかも知れない。

でも、些細な幸せを感じられないと前に進めない。

今まさに生きている、生かされている。これこそ幸せなこと。

 

「今 幸せなんだ」と気づくことが、幸せになることだと思う。

 

 

いつまでしんじんしたとても 陽気づくめであるほどに

みかぐらうた 五下り目 五ツ

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〒330-0061  埼玉県さいたま市浦和区常盤1-2-11/ TEL 090-8346-9126  お問い合わせはこちら
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