神様の思い 私なりの気づき
そのお言葉を、なるべく真っすぐに理解できればと思います。私なりに、一言ずつ簡単なことばで書き記していきたいと思います。

科学の進歩は目覚ましく、無限大な宇宙の謎解きや、自然界のミクロ世界の解明は進み、神が創りたもうたこの世が、少しずつ科学の力で見えてきてます。
生命の成り立ちも解き明かされつつあり、私たちのこの身体を構成している組織も単細胞まで分解し、それを構成する成分まで解明されつつある。医学術的に、クローン人間の是非も問われる段階まできている。
それでも、生命は未だ神秘の世界。ありとあらゆる命あるものは、科学の力では造り出せていない。植物の葉一枚、小さな虫の羽一枚、人間の身体の中を流れる血一滴、新陳代謝を繰り返す皮膚でさえ、未だ造ることはできない。
私のこの身体は、小宇宙その物 神秘の世界をまとっている。
考えてみれば、自分の身体の中の営みなんてあまり考えたこともない。食べたものは消化してくれて、寝ていても呼吸は続き、血は巡ってくれていることを。
親神様により母のお腹に宿し込まれ、貸し与えられたこの身体をまといこの世に生まれ出て、こころ次第に自由に使い、思い通りに暮らしている。
私だと言えるこの身体があることに感謝すべきである。これが無ければ、私は存在していないのだから。そして、健康で暮らさせている。何一つ足りないものはなく都合よく動き働いてくれる身体である。本当にありがたいことだと思う。
だから、親神様が喜ぶことに使わなければならないと思う。
それには、周りの人たちを楽しませる働きをさせていただこう。
この身体は神様からの借物であることに、気づいている人がどれだけいるだろうか。皆に教えてやらなければと思う。
教祖は、「かしもの・かりものの理は、日々通らせていただく中に常に持たせていただかねばならんのやで」と教えてくださいました。
めへめへのみのうちよりのかりものを しらずにいてハなにもわからん
おふでさき三号137
にんけんハみなみな神のかしものや なんとをもふてつこているやら
おふでさき三号41
このよふは一れつハみな月日なり にんけんハみな月日かしもの
おふでさき六号120
このはなしにんけんなんとをもている 月日かしものみなわがこども
おふでさき十三号79
これほど大量の水の星が誕生できたのは奇跡であろう。
ガスが充満し、火が噴き出す泥海であった星。
マグマは徐々に治まり、ガスはうすれてきた世界に、私たちの古代祖先であろう微生物が撒かれた。彼らは、水とガスを永の年限を掛けて浄化してくれた。
海は生命の源となった。何億という種の宝庫である。
水無くして生命は生まれないし、成長しない。つまり生き物は存在しない。
ありとあらゆる生命の基幹成分は水からできているという事なのだろう。
人間も胎内に過ごす期間は、母より栄養たっぷりの水を貰いながら、まさに水中生物の姿で成長する。海に漂う遠い記憶がくり返されている。
水はしなやかで柔軟でありながら、物を浮かべ押し流す力を持つ。
存在を主張するでもなく、柔軟に形を変え、物の下に入り相手を常に見上げている。
天然自然の循環に従い、地中に入り身を清め、陽のぬくみを受け取り空に舞い上がり、地上の全てを洗い清め、ありとあらゆるものを潤し育て、そして、汚れを身にまとい土に帰っていく。
私も水の如く潤っているこころでいようと思う。
くにとこたちの命
人間身の内の 目うるおい、世界では水の守護の理 十全の守護陽が沈み闇の中、生命は休息の世界に入る。
すべての命の起源は水中に誕生した。僅かな光の中で生まれ出たのだろう。
気の遠くなるような時間のなか、温みのない環境でゆっくり成長し続けたのだろう。
そしていずれ地上に上がり、陽の光を浴びて生命は爆発した。
この地球は太陽を中心に成り立っている。天然自然の営みの根源である。
この地球は自らも熱を蓄えている。内在する熱は地をも動かし続ける。
ぬくみの恩恵の世界である。
朝 目覚め、晴れていると気持ちいい。
陽の光は、このからだを少しずつ呼び起こしてくれる。
エレルギーの源だと感じる。
生命は、陽の光を浴びて育つ。
人間は陽を受け取り、自らのぬくみを造り出している。
ぬくみは心を温めてくれる。温まった心は喜びを蓄える。
蓄えた喜びは、人に分けてあげたくなる。
火、ぬくみの力は、素晴らしいと思う。
をもたりの命
人間身の内のぬくみ、世界では火の守護の理 十全の守護
陽のぬくみは、あらゆるものを暖めてくれる。
暖められた空気は、嬉しくなってきて動き出す。フワフワと登っていく。
水面をなめて輝かせ、田畑をわたり作物を育て、山を駆け上がり木々を揺らし、私たちの間を通りぬけて心地よさを与えてくれる。
風は万物に息を吹き入れてくれる。風が無ければ命は育たないだろう。
風も空気も見えないけれど、確かに与えられた大切なもの、神の息そのもの。
呼吸は命をつなぐ元なる活動。体内で燃やしてぬくみが生まれる。
息することがすなわち生である。無意識なる自在の働きに感謝する。
息吹き分けて言葉を使える。この知恵に感謝しかない。
今日も清々しい風が吹いている。ありがとうと感謝して歩こう。
かしこねの命
人間身の内の息吹き分け、世界では風の守護の理 十全の守護
自分とは、みずからがわかると書く。
自分探しは、何故か一番難しい問い掛け。
人はみな違う道を歩む。
同じ目的に向かって歩いても、たどる道先はみな違う。
今いる道に満足できるがどうかは自分の心次第。
他人は、今自分がたどっている道が正しいかどうかは、評価でしかない。
今いる処に満足か、もう少し頑張ろうかは自分のみ測れる。
人は歩き続けることが最も大事。
歩くという基本を繰り返し 繰り返し続けることが大切。
歩き続けていると、きっと何のために生きているのかが見えてくる。
生きているこの瞬間が、
生かされていると言うことに気づくかもしれない。
自分探しは、今いる大切なこの時間と世界に、
素直に感謝する心が見つかったときに分かる。
気は流れる。
自然界の空気の流れ。
太陽からの暖気の流れ。
地球の中心からの磁気の流れ。
生命が成長する根幹となる気の流れ。
気が流れなければ、森も朽ち、水も腐り、家屋は衰退する。
古来より先人たちは、気の流れを中心に捉え生活を築いてきた。
気の流れを重んじることで、繁栄を築いてきた。
人の身体の中も気は流れている。
気の流れは気分を高揚させて陽気となる。
気の流れは活気を産み陽気となれる。
気の流れが滞ると気分は優れず、病を呼び寄せ。
気の流れが塞がれれば、闇の世界に入る。
気の滞留とは陰気という。
気とは、不思議な力の流れ。
気は、意識すれば自ら造り出せる流れ。
誰もが与えられた力。
陽気暮らしは、誰でも呼び込める。
陽気暮らしは、一人では成り立たない。
つまり、気の流れを呼び込めば、その輪は自然に広がる。
植物は太古の昔、この星を楽園に作り替えてくれた。
地球という緑の星を造るため、種を蒔き続けてくれた。
己の種を絶やさぬよう芽生え続けた。
実から弾けた種子は、様々な方法で地に潜り込む。
風に吹かれ飛び散り、鳥に食べられ糞となり、水に流され知らぬ地に着く。
どこに蒔かれても種は正直に親の心通りに芽生え続ける。
人の生き様も同じこと。
日々生活する中に、己の存在価値という種を蒔き続けている。
知らず知らずに心通りの思いが蒔かれる。
癖性分の染みついた言葉や行動が、相手の心に蒔かれる。
結果は正直、相手は傷つき離れていく。
蒔いたる種はみな生える。
神様も喜ぶよう素直な心で蒔けば、きっと綺麗な花が咲き誇る。
蒔けば生え、蒔かねば生えぬ善悪の、人は知らねど種は正直
樹木は、節こぶから枝を生やし葉が茂り、自ら生きていく糧を造りだす。
小さな草花も、節から新芽が生まれ花を咲かせ、種をつなぐ。
竹は、節を造り強さと柔軟さを得て、風雪に耐える力をえる。
彼らは幹や茎に節をつくる術を知っている。
節は自ら傷つけ折れる恐れがあっても、節つくらずして成長ないことを知っている。
時も流れ成長を促す。
季節という時の区切りで生命の成長を促している。
人は人生という有限の時間の中で生きていく。
草木を鏡と見れば、節こそ成長の旬と分かる。
一生という流れの中に現れる喜び事や悲しみ事こそ、節である。
節なる事象を、受け止め乗り越えてこそ成長がある。
草木でさえそうやって成長し続けているのだから。
嬉しい出来事は、人を成長させる道理。
苦しく悲しい時こそ、越えれば強く大きな節となる。
一生という記憶の線に、節こぶが幾つ刻まれるかで、線は太くなっていく。
記憶線が太ければ、神も掴み抱えやすくなる。
年々の道、幾重の節から節が栄える一つの理 おさしづ明治22年2,21
この自然界はすべてが連鎖していく世界。
地球には水が満ち、それはすべての空間でつながり連鎖していく。
水の連鎖は生き物の体内にもつながる。
光は温みを放ち、それはすべての空間につながり連鎖していく。
温みの連鎖は生き物の体内にもつながる。
自然界の大いなる法則によりつながり合う私たちの魂もまた、つながり合っている
つながり合ということは調和しあっているということ、
調和しあう世界は、心と心がつながっている状態。
連鎖を保つには助け合うことが必要。
つながり合うから、偶然なる遭遇を呼ぶ。
助けを求める人と、それを支える人との出会い。
縁ある魂の出会いは偶然ではない、因縁という導き。
因縁の結び合い助け合いの世界。
助ける心は連鎖して歩く。
助けられた人は喜びをつないで行く。
回り回って自分に返って来る。
潤いと温みを伴う喜びの連鎖が陽気ぐらしの道である。
わかるよふむねのうちよりしやんせよ 人たすけたらわがみたすかる おふでさき三-47
自然の中に身をおく。
森の中に入る
木洩れ陽の囁き、風がかなでる笛音、
木々から発する精霊の声、土中からむせ上がる響き。
海岸に立つ
ごうごうとそそぐ斜光音、からだにまとわりつく潮風の音、
波にかき消されそうな水中から泡となり浮かび出る声。
夜中の闇に潜り込む
動くものが隠され、何もないと錯覚する世界、
恐怖を抑え 耳を澄ますと、静寂という微かな声。
古来の人々は自然と向き合い会話を交わしていた。
現代人は自ら作りだした雑音の中になれ過ぎて、
自然が発する声に耳を澄まし聞く心を忘れてしまった。
森や海から聞こえてくる寛大な温みと優しき声、
闇の中から囁かれる真実の声。
私に向けられているシグナルがあるはず。
私を導こうとする声を、心澄まして聞き分ける。
何と言っているのだろう。
何を伝えようとしているのだろう。
自然界の大いなるエレルギーから放たれる魂への声。
心澄まし、天の声を聞き分けなければ、
きっと進むべき道を伝えてくれているはず。
ふと浮かぶは神こころ、、、、、天の声
幸せになりたい。幸せでいたい。誰もがそう思って生きている。
でも 今幸せと、なかなか感じることができない。
辛いことや苦しいこと、悲しいことばかりが心の中を重く支配する。
幸せの重さより、辛さの方が重たいものなのだろうか。
何故人は、辛いことばかりを意識をしてしまうのだろう。
それより、幸せ探しをしよう。
朝目が覚めて、また今日という日が始められる。
ご飯は美味しくいただける。トイレの用も足せている。
家族がいる。色々あるけれど、笑い合いながら暮らしている。
恋人や友人と喧嘩もするけど、仲良くしている。
仕事も勉強も大変だけれども、前には進んでいる。
何より、回りの人も自分も病んでいない。
これって幸せっていうことかも知れない。
人生は長い。その道を歩むのは結局 一人。
幸せも、悩み苦しみも、自分の中にある。
生きるとは孤独、でも寄り添ってくれる人は必ずいる。
幸せとは 他愛のない小さなことかも知れない。
でも、些細な幸せを感じられないと前に進めない。
今まさに生きている、生かされている。これこそ幸せなこと。
「今 幸せなんだ」と気づくことが、幸せになることだと思う。
いつまでしんじんしたとても 陽気づくめであるほどに
みかぐらうた 五下り目 五ツ