心の悩みを聴くお救け場所
 天理教浦和分教会

おやさまのお諭し 私のひとり言集

神様の思い 私なりの気づき

親神様は、教祖(おやさま)を神の社と定め、そのお言葉にて色々な思いを私たちにお伝えくださいました。そこには、私たち人間の親としての思いが沢山込められています。
そのお言葉を、なるべく真っすぐに理解できればと思います。私なりに、一歩ずつ簡単な言葉で書き記していきたいと思います。

神とは

古来より日本人は、自然界のありとあらゆるものに神が宿り、畏敬の念をもって信仰してきました。天空に浮かぶ月日や、威風堂々とそびえたつ山や、その中に高く真っすぐにそびえたつ杉の大木や、山道に立ちはだかる巨岩に、神が宿ると。滅多に現れない山の獣や海の主を、神の使いとして崇めました。静寂な山深い森の中にひとり入り込んだ時、底知れぬこころの解放感と温もり、そして恐れを感じます。
確かに、自然界のそこここには何か分からない神秘的なエネルギーを感じるときがある。

人間には見えない不思議な力。でも、しっかりと感じる力。
私がこの世に生まれてきた奇跡と、あらゆるものを与えられて生かされている奇跡。
何か不思議な力に守られていると感じる。だから、感謝し素直になろうと思う。
自然界の法則の必然性と、その世界に抱かれて生きていると云う喜び。


たんたんとなに事にてもこのよふわ 神のからだやしやんしてみよ
                              おふでさき 三号40

この世の始まり

想像もつかない広大な宇宙、遥か彼方で今まさに始まろうとしている星もあり、消えて無くなろうとしている星もあるという。
想像もつかない昔に、この星も誕生した。地は熱し、ガスが充満している泥海世界。
神は、地球を神秘に満ちた美しい星にしようと創造された。
大気を整え、大地と海を創られた。天と地の理想を創造し象られた。
太陽の温みと、水と、大気を創れば、自ずと生命は誕生すると考えられた。
しかし、生命が生まれ出したこの星を見渡しても、何とも混沌とした味気なさを感じられた。そこで共に楽しみを共有できる知恵ある生き物を創造された。それが私たち人間である。

この無限な宇宙の中のただ一つの星に、理想郷を創造された神。
天然自然の法則を定められ豊かな自然が循環し育まれる中に、私たち人間は生まれた。
この世この世界を始まめられた神の思惑を、しっかりと心に治めないといけない。

人間の役割は、与えていただいた知恵と言葉を使い、神と共に楽しめる世界を造り上げる事。
それができるようにと、沢山の人をこの世に送り出してくれた。
神を喜ばせようと、助け合う大きな輪が広がっていけば、必ず誰もが幸せだなと言える世界が出来上がる。

目指すは、世界一列 陽気ぐらし。


この世の地と天とをかたどりて 夫婦をこしらへきたるでな 
これはこの世のはじめだし         みかぐらうた

魂とは

私たちの体の中には魂があると言います。
人体学的には、魂と言う部位は出てきません。一体 魂とは何なのでしょうか。

私がこの時代に両親のもとに生まれ出て、今までに経験してきた全ての記憶を収め、これから歩むであろう道すがらが刻み込まれている記録の器。

今までに繰り返してきた 生と死とその間の歩み を刻み込んだ命の核芯。そして、これから未来永劫つながるであろう生命の核。

魂はエネルギーの塊、きれいな丸い器、他の何かのエネルギーとつながり情報交換をしあっている。
器の中に入る記録は、その人の心使いの通り。積もり積もれば中は濁る。

他の何かのエネルギーとは神か。すべて見抜き見通しとは、こう云う事なのだろうか。
ならば、できれば神を喜ばせたほうが好い。次に生まれ変わるときに、更に幸せになれるから。

人間は皆神の子 分霊、たすけられる徳を持って生まれてくる。あれたすけん、これたすけんとは言わん。どんな者でもみなたすける。                      おさしづ

このからだ

科学の進歩は目覚ましく、無限大な宇宙の謎解きや、自然界のミクロ世界の解明は進み、神が創りたもうたこの世が、少しずつ科学の力で見えてきてます。

生命の成り立ちも解き明かされつつあり、私たちのこの身体を構成している組織も単細胞まで分解し、それを構成する成分まで解明されつつある。医学術的に、クローン人間の是非も問われる段階まできている。

 

それでも、生命は未だ神秘の世界。ありとあらゆる命あるものは、科学の力では造り出せていない。植物の葉一枚、小さな虫の羽一枚、人間の身体の中を流れる血一滴、新陳代謝を繰り返す皮膚でさえ、未だ造ることはできない。

 

私のこの身体は、小宇宙その物 神秘の世界をまとっている。

考えてみれば、自分の身体の中の営みなんてあまり考えたこともない。食べたものは消化してくれて、寝ていても呼吸は続き、血は巡ってくれていることを。

 

親神様により母のお腹に宿し込まれ、貸し与えられたこの身体をまといこの世に生まれ出て、こころ次第に自由に使い、思い通りに暮らしている。

 

私だと言えるこの身体があることに感謝すべきである。これが無ければ、私は存在していないのだから。そして、健康で暮らさせている。何一つ足りないものはなく都合よく動き働いてくれる身体である。本当にありがたいことだと思う。

だから、親神様が喜ぶことに使わなければならないと思う。
それには、周りの人たちを楽しませる働きをさせていただこう。 

この身体は神様からの借物であることに、気づいている人がどれだけいるだろうか。皆に教えてやらなければと思う。

教祖は、「かしもの・かりものの理は、日々通らせていただく中に常に持たせていただかねばならんのやで」と教えてくださいました。

 

めへめへのみのうちよりのかりものを しらずにいてハなにもわからん

                             おふでさき三号137

にんけんハみなみな神のかしものや なんとをもふてつこているやら

                             おふでさき三号41

このよふは一れつハみな月日なり にんけんハみな月日かしもの

                             おふでさき六号120

このはなしにんけんなんとをもている 月日かしものみなわがこども

                             おふでさき十三号79

こころ

こころって、何なのだろうか。
こころを紐解くとき、学問的には心理学である。どうも物質的に存在するものではない。
私たちの身体に内在する 未知の力 であろう。木や花にもそれは内在しているのだろうか。
こころは、いつも脳や身体と交信しコミュニケーションしている。
全ての人間に備わる力である。

誰一人、同じではないことの証は、こころである。姿かたちでの判断ではあるが、過ごしてきた経緯、こころの使い方が容姿に表れる。それが今の私として見えている。
人のこころは覗き込めない。だから容姿、行動や言葉使いで読み取る。

こころは、本当に自由自在である。
やる気を起こせば誰にも負けない力が湧いてくる。
楽しいと感じれば、身体がふわふわ軽くなる。
空想の世界に入れば無限に広がる空間に行けるし、身体を切り離せば夢という非現実世界にも連れて行ってくれる。
空想や夢に描いたことを、実現する力を持っている。


親神様は、誰一人として同じにならないようにと、貸し与える身体にこころを足し加えて下さいました。私が私である所以である。これは喜んでいいと思う。

こころの使い方次第で、人を楽しませ幸せにできる。喜んだ顔を見ると、自分も楽しくなれる。どうせ生きていくなら皆 笑顔でいたい。

それ人間という身の内というは、神のかしもの・かりもの、心一つが我がの理
                           おかきさげ

をやこでもふうふのなかもきようたいも みなめへめへに心ちがうで
                           おふでさき五号8

人間というものは、身はかりもの、心一つが我がのもの。たった一つの心より、どんな理も受け取る中に、自由自在という理を聞き分け。
                           おさしづ明治22・2・14

祈り、、、つとめ

神様の存在を信じ祈るのは、人間だけだろう。
世界の国々には必ず「神」という言葉がある。大昔からどこの人々も、神に祈りを捧げてきた。
その祈りは、今の泰平な世の状に感謝する祈りであったり、今起きている災禍を鎮める祈りであったり、集落、地域や国家単位の特別な儀式として執り行われてきた。
それは、歴史上知恵ある人間が成人する上で、非常に大切な事であった。人々が神という力の存在を信じ、崇拝し、民の心を一つにすることにより、安定を築いてこられた歴史である。

そして今 親神様は、最後(だめ)の教えを明かされた。人を救ける祈りをするようにと諭された。
己の心のほこりを払い無欲となり、無心に人の救かりを願う優しい心を使い、悩み苦しむ人に幸せになってもらいたいという心が、大切だと教えてくれました。
救ける心は次第に広がり、いずれはその輪は地域をつつみ、更に広がり、陽気ぐらしの世界となると教えてくれました。

教祖は、人を救ける祈りの作法を、「つとめ」として教えて下さいました。
誠真実の心を乗せて おつとめをすることが何より大事と仰いました。

誰でも、自分のまわりにいる人たちが笑顔でいると、思わず嬉しくなります。
これが幸せの始まりであることは間違いありません。


このつとめなんの事やとをもている よろづたすけのもよふばかりを
                          おふでさき二号9
このつとめなにの事やとをもている せかいをさめてたすけばかりを
                          おふでさき四号93
どのよふにむつかしくよふみへたとて よふきつとめてみなたすけるで
                          おふでさき十二号61

声は言葉

動物はコミュニケーションを取り合うとき、声を使う。
その能力でも夫婦となり家族ができコロニーとなり、種は繋がっている。彼らも素晴らしい能力を与えられている。

私たち人間はコミュニケーションを取り合うときに、言葉が使える。
心の声を言葉にして話ができる。おそらく動物たちよりもより細かに思いを伝えられているのだろう。私たちも素晴らしい知恵を与えられた。かしものの身体のお陰だ。

言葉は心の声という。その人の心そのものである。心地よく響く音もあり、いつまでもこころに不快に残る音にもなる。
心地よい言葉を貰った時、人はみな幸せな気分になる。自然とありがとうと言える。
言葉は優しく使うと、人のこころを救ける。
どうせ使うなら綺麗な声を発しようと思う。交わる人の喜びの肥やしとなるように。

親神様は「声は肥やで」「言葉は道の肥となる」と言われる。

水、、、うるおい

これほど大量の水の星が誕生できたのは奇跡であろう。

ガスが充満し、火が噴き出す泥海であった星。

マグマは徐々に治まり、ガスはうすれてきた世界に、私たちの古代祖先であろう微生物が撒かれた。彼らは、水とガスを永の年限を掛けて浄化してくれた。

 

海は生命の源となった。何億という種の宝庫である。

水無くして生命は生まれないし、成長しない。つまり生き物は存在しない。

ありとあらゆる生命の基幹成分は水からできているという事なのだろう。

人間も胎内に過ごす期間は、母より栄養たっぷりの水を貰いながら、まさに水中生物の姿で成長する。海に漂う遠い記憶がくり返されている。

 

水はしなやかで柔軟でありながら、物を浮かべ押し流す力を持つ。

存在を主張するでもなく、柔軟に形を変え、物の下に入り相手を常に見上げている。

天然自然の循環に従い、地中に入り身を清め、陽のぬくみを受け取り空に舞い上がり、地上の全てを洗い清め、ありとあらゆるものを潤し育て、そして、汚れを身にまとい土に帰っていく。

 

私も水の如く潤っているこころでいようと思う。

 

 

くにとこたちの命

人間身の内の 目うるおい、世界では水の守護の理   十全の守護

火、、、ぬくみ

陽が沈み闇の中、生命は休息の世界に入る。

すべての命の起源は水中に誕生した。僅かな光の中で生まれ出たのだろう。

気の遠くなるような時間のなか、温みのない環境でゆっくり成長し続けたのだろう。

そしていずれ地上に上がり、陽の光を浴びて生命は爆発した。

この地球は太陽を中心に成り立っている。天然自然の営みの根源である。

この地球は自らも熱を蓄えている。内在する熱は地をも動かし続ける。

ぬくみの恩恵の世界である。

 

朝 目覚め、晴れていると気持ちいい。

陽の光は、このからだを少しずつ呼び起こしてくれる。

エレルギーの源だと感じる。

 

生命は、陽の光を浴びて育つ。

人間は陽を受け取り、自らのぬくみを造り出している。

ぬくみは心を温めてくれる。温まった心は喜びを蓄える。

蓄えた喜びは、人に分けてあげたくなる。

 

火、ぬくみの力は、素晴らしいと思う。

 

 

をもたりの命

人間身の内のぬくみ、世界では火の守護の理    十全の守護

風、、、息吹き分け

陽のぬくみは、あらゆるものを暖めてくれる。

暖められた空気は、嬉しくなってきて動き出す。フワフワと登っていく。

水面をなめて輝かせ、田畑をわたり作物を育て、山を駆け上がり木々を揺らし、私たちの間を通りぬけて心地よさを与えてくれる。

風は万物に息を吹き入れてくれる。風が無ければ命は育たないだろう。

 

風も空気も見えないけれど、確かに与えられた大切なもの、神の息そのもの。

 

呼吸は命をつなぐ元なる活動。体内で燃やしてぬくみが生まれる。

息することがすなわち生である。無意識なる自在の働きに感謝する。

息吹き分けて言葉を使える。この知恵に感謝しかない。

 

今日も清々しい風が吹いている。ありがとうと感謝して歩こう。

 

 

かしこねの命

人間身の内の息吹き分け、世界では風の守護の理  十全の守護

災禍

東日本大震災から10年目という記事で報道されている節目の今、東北地方で大きな余震が発生した。専門家からは、ここ30年以内に南海トラフや首都直下型地震の発生確率のコメントが報じられている。自然の猛威は凄まじい。
新型コロナウイルス蔓延が収束の兆しもいまだ見えず、1年以上社会が混乱し続けている。全世界の死者は、第二次世界大戦の死者数を上回ったという事である。どちらも恐ろしい事である。
天災にしても人災だとしても、今の人間の知恵では、恐らくくい止めることはできないのだろう。

何故、人々が苦しむ災禍がくり返されるのだろうか。
その一つひとつに、どんな意味があるのだろうか。
地球規模の痛ましい災禍に、人間思案で答えは見出せない。それが結論かもしれない。

それなら、突き付けられた災禍を、どう受け止めるか。
尊い多くの命が失われる事に、どう向き合えばよいのか。
残された我々が、他人事で居てよいのか。そこを思案しなければならない。

人間は、その持てる英知を積み重ね文明を築いてきた。
文明は急速に発展し科学を生みだした。
科学は、天然資源を食い漁り、自然界にはなかったものを造り出した。
それは、空を、地を、海を、傷つけ続けている。

気づく時が来ているのだろう。
少しくらい不便でもいいではないか。
それより、自然が輝いていてくれた方が幸せだ。

人が生みだす限りない欲望はほこり。他者を思いやる澄みきりこころ。


欲に切りないこの泥う 心澄みきれ極楽や        みかぐらうた

時、、、未来

時が流れているというこの瞬間、何だか不思議。
宇宙は静の世界にみえる。それは何億年という単位の世界だから。
その中で、地球はもの凄く早く動いている。太陽軸で自ら回り、自然界の営みを生み出そうとしてくれている。昼と夜、天候の変化と自然界の循環。そこに時間が創り出されてくる。時空間の世界に私たちは生かされている。自転しながら回っているうちは、時間は戻らないし止まらない。

時の流れの中では、今この瞬間にさえ戻れないし、止められない。
一瞬を悔やんでも後の祭りだ。そのことを常に考えて時間を使っているだろうか。

私たちは、この瞬間をこころのままに生きている。
こころの使い方次第で、今この瞬間が嬉しい思い出になる。忘れられない嫌な記憶にもなる。
過去の人生は変えられない。今この瞬間からの人生は自慢できるものにして行ける。

時間も、神様からの大切な与えもの。こころ次第に大事に使わせていただこう。

天の理

自然界の営みの世界。すべてが繋がり合って動いている。

陽の光は、すべての物にぬくみを与え、水を舞い上げ地を潤し、風を吹かして、成長を促す。
陽は陰り、静寂をつくり活動を止め、休息を促し栄養を蓄え、更なる成長に備える。

水の星地球、広大な海と地中に内在する水と、空に浮かぶ水気、そしてすべての生命を形成する水、その水はいずれ母なる海に帰っていく。

大地では、豊かな森を育て木々草花が根を張り水と養分を受取り成長し、動物を守り育て、人は種を蒔き作物を育て命つなぐ。

気の遠くなるような時間を掛けて創造されたこの地球。
そこには偶然ではなし得ない壮大なる意思を持った力が存在する。
つまり、自然界のありとあらゆるものの繋がりと、時とともに流れる法則。

自然界の営みこそ天の理、理づめの世界こそ 神 である。


あたゑは天にある 理にあたえる        おさしづ明治32年8.22

いんねん、、、魂は生き通し

私の魂はどれだけの年限を見てきたのだろうか。
途方もない刻を渡り来たのだろう。

平穏に心満たされた日々はどのくらい占めているのだろう。
悲しさにさいなまれた思いをしたことの方が多いのだろうか。

愛し愛された人はどのくらい巡り会って来ただろう。
嫌われるような言葉を使ってしまった相手はどれほどいるのだろうか。
混沌とした時代の中で人を傷つけた事もあったのだろうか。

その永い永い記憶を私の魂は刻んでいる。決して消えることのない過去。
自身でありながら知り得ない記憶

今世で歩いてきた時間と今ここにある自分、前世までの善と罪 因縁の具現。
前世のあらゆる人と今も繋がり暮らしていると云ういんねんの世界。
人生は苦しいけれど、一緒にささやかに笑える日常があると言うことは幸せなのかも。

魂に刻まれたいんねんは消せないけれど、今から新しい種を蒔けば綺麗な花が咲き始めるはず。

いんねんと言うて分かるまい。皆これ世界は鏡、皆人間生まれ更わり、出更わりしても、心通り皆身に映してあるから、よく聞き分け。  おさしづ明治21.2.15

神様は、いんねんの者寄せて守護して下さるねで。  教祖伝逸話篇「心の合うた者」

こころのほこり

浮遊しているほこりは、あまりにも小さくて気がつかない。
吸い込んでも、目に入っても気がつかない。
風が吹けば、人が動けば、ほこりは舞い上がる。
恐らくほこりのない世界は存在しない。

ほこりはいつの間にか吸い込み、身に掛かり、回りに積もる。
そこでうがいをして、衣服を払い、部屋を掃除する。
綺麗になったと満足する。

人は自由気ままに行動する。その意思決定は自分自身。
心の使い方は、綺麗なときばかりではない。醜いときもある。
自分本位の考えは、時として人を傷つける。

こころに積んだほこりは、見る目を曇らせ視界を遮る。
やさしい気持ちが埋もれて出てこなくなる。
人を思いやる気持ちが出せなくなる。
自分が一番可愛くて、偉く思えてくる。

ほこりのない世界は存在しないかもしれないけれど、
積もらせたほこりは毎日掃除をしないと、
いつか大切なものが、霞んで何も見えなくなってしまう気がする。

八つのほこり
をしい、ほしい、にくい、かわい、うらみ、はらだち、よく、こうまん

感謝、慎み、たすけあい

天然自然のこの世界で生かされている私たち人間は、その自然界の法則の中に生活しております。この世界のありとあらゆるものと共調し合い調和して成り立っております。その調和を乱す心の使い方、自分は正しいと思う癖性分が、少しずつ調和し合っている世界からズレてきますと、身上事情として現れてしまう事が起こります。人間誰でも犯してしまう心使いです。そこに気づくことが大事です。

生かされている喜びに「感謝し」、心の使い方を「反省し」、回りの人やものを「敬い扶ける」ことが一番大切だという教えの実践。

今自分に与えられている全てに「ありがとう」と言い、
いつも使ってしまう不足こころに「すみません」と謝り、
回りに与えられたすべての人とものと調和する「はい」と言う素直なこころ。

心の道

いんねんというは心の道、と言うたる。         おさしづ明治40.4.8

悪しきいんねん
病気になってしまったり、悩み事が絶えず身に降りかかってきたり、とても辛く苦しいことで、出来れば避けて通りたい。

この悩み事や病気になるという結果には、必ずそうなる元が自分の中にあったから。
花の種を蒔いて、夏の花園を楽しみに望んでも、手を掛け世話するという元を怠れば、楽しみにしていた花園にはならないように。
種を蒔いても、育てたとおりに成ってくる。
自然界の必然たる摂理であろう。理に逆らって花は咲かない。

負のスパイラルに陥らないためには、心の思考を変えるしかない。
心使いの癖性分は中々変えられないものだけれども、そこに気づくことが大事。
成ってきた結果を変えるには、元に気づくこと。
元に気づくと、元気に変わる。

心が澄みきると、すべての理が変わる。
理が変わるとは、これから成ってくる元が変わる、因縁が切り変わるということ。
元を変えれば、運命が変わる。


人間というものは、身はかりもの、心一つが我がのもの。
たった一つの心より、どんな理も日々出る。
どんな理も受け取る中に、自由自在という理を聞き分け。  おさしづ明治22年2.14

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